Hard to measure, but surely there.

Vol. 1 Where It All Began

 

― 見えなくても、確かにそこにあるもの ―

― すべてはここから始まった ―

 

哲学のある場所や空間が好きだ。

もちろん、日々の生活の中で、便利だから、必要だから、という理由で選ぶ場所もある。けれど、その場所に息づく作り手の想いや背後にある物語が伝わってきたとき、そこで過ごした時間が喜びになる。

なんとなく好き。
なんとなく居心地がいい。
なんとなくまた来たくなる。

誰にでもそんな場所がきっとあるはずだ。

自分自身に問うてみる。私は「なんとなく」をどのように感じ取っているのだろうか、と。
答えはシンプル。身体が知っているのだ。言葉より先に。感覚で。

そして、私はその「感覚」の輪郭を掴みたいと思った。けれど、感覚に言葉を与えようとした瞬間、大切なものがするりと逃げていってしまうような、そんな気がしていた。やろうとしていることが無粋なのかもしれないと思いつつ、私はずっと、この「なんとなく」の正体を言葉にしたいと願ってきた。

今回のジャーナルでは「なんとなく」の正体を探り続けた日々のことを、3部に分けて書いてみたいと思う。

その答えを探す旅の始まりは、東京の下町だった。

私の母は、東京の下町生まれ。チャキチャキの江戸っ子。生家は下駄屋。近所中がほぼ親戚のような状態で、それぞれに何かしらの商売を営んでいた。下駄屋は靴屋になったけれど、私が子供時代を過ごした昭和後期は、まだまだ個人商店に活気があった。

私は、幼い頃から「お店」という場所に立って手伝うのが好きだった。

お店に来てくださったお客さまとお話ししながら、一緒に「モノ」を選び、お金と「モノ」を交換する。そのお金が今度は、近所の八百屋さんやお肉屋さんで買い求める自分たちの晩御飯のおかずになり、祖母が買ってくれるソフトクリームになる。それが、私にとっての「経済」だった。

そんな環境に慣れ親しんで育った私が大学卒業後、接客・サービスの世界に進んだのは、自然な流れだったように思う。

その世界でしばらく働いた。最初の仕事は、カフェの店舗スタッフ。今でこそ珍しくはない「ライフスタイルブランド」の走り的存在の会社が運営していて、そこで働くことはある種の「ステータス」でもあった。その後、ホテルなど、異なる業態もいくつか経験した。そして私は、働けば働くほどに疑問を感じるようになっていった。

大別すると2つ——「なぜ、サービスを初期の構想段階でもっと包括的に捉え、設計しないのだろう」ということ。そして「なぜ、サービスを提供する側の人間の心理状態はいつも置き去りにされるのだろう」ということだった。


さまざまなことが重なり、私は仕事を辞め、渡英した。一念発起してロンドン芸術大学に入学。そこで出会ったのがサービスデザインだった。その概念を知った時、「自分が求めていたのはこれだ!」と思った。運命の相手に出会ったかのように夢中になった。

そして私は、修士論文「A New Vista For Service Design - An employee centric perspective」を書き上げ、博士課程に進む奨学金を得て、意気揚々とイギリス中部の長閑な大学街・ラフバラへと乗り込んだのである。

つづく

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