A Wardrobe in Transition — Rethinking it through World Cup Cycles — Vol. Ⅱ

A Wardrobe of Variables

 

「ファッションは、変数だらけの総合芸術」だと思う、と書いた。では、その「変数」とは、なんだろう。

ファッションを構成する要素を、あらためて書き出してみる。

  • 気候

  • 自分の体型や顔立ち

  • ライフスタイル

  • 社会的な役割

  • 美意識

などが思い浮かぶ。

まず、そもそも衣服の大事な機能として、温度調節がある。自分が暮らす場所での、その時期の気候に合っていることは何よりも大事。湿度が高い東京の夏に、ライダースは羽織れない。Tシャツにライダースを羽織るスタイルは、湿度が低く朝晩に気温がしっかりと下がる欧州の春夏だから成立する。湿度大国ニッポンでは無理。

「似合う」「似合わない」はファッションにおいて印象を大きく左右する。それは、つまり自分の体型や顔立ちと服や小物との相性だ。例えば、首が短めで、バストがあり、腰位置が高めの骨格ストレートで、目鼻立ちがはっきりしている私は、素材だけで上半身が渋滞している。そんな私が胸元のフリルやパフスリーブで、上半身にボリュームを追加すると、大事故に遭う。

ライフスタイルという要素も見逃せない。いくらジャケットが似合うからと言って、毎日ジャケット着用が求められる仕事をしていなければ、そもそもアイテムとしての必要性は低い。コットン素材のシャツワンピースが似合うからと言って、アイロンがけが嫌いで、それをする時間と心の余裕がなければ、着用回数は著しく減ってしまう。スチームアイロンすら億劫な場合だってある。

社会的な役割というのもあるだろう。例えば、お子さんを有名私立校に通わせているお母さんにとって、ファッションの最優先事項は、目立ちすぎず、華美になりすぎず、かと言って地味すぎず、お上品でしっかり見えること、かもしれない。また、いくらカジュアルな雰囲気が好きだからといって、大人の女性が、素敵なホテルのラウンジに「この薄汚れた感じがおしゃれなんです」っていうようなヴィンテージのコンバースを履いていけば、見識を疑われる。あ、これはTPOの問題か…。

それぞれが持つ美意識も大切だ。肌感度の高い人は、着心地優先で素材の質にこだわるだろうし、視覚的な感覚が発達している人は、色の組み合わせがチグハグなことに気持ち悪さを感じるだろう。たった数センチのパンツ丈の差が、大きな印象の違いを生み出すことに気が付く人もいる。それぞれの美意識によって、ファッションのフォーカルポイントは異なるのだ。

そして、忘れてはいけないのが、時代の空気感。

毎年毎年、パリやNYのコレクションでハイブランドが提案する流行を追いかける必要は全くない。ファッションの最前線で仕事でもしてない限り。でも、3年から5年くらいの周期で、特にシルエットや全体のバランスにおいて、ざっくりとした大枠での流行りってものがあると感じるし、この変化に鈍感だととにかく「なんだか古臭い人」になる。

これらの構成要素は、それぞれ独立して変化する。そして、個別の変化が重なり合うと、また別のうねりが生まれる。ファッションが「難しい」と感じる瞬間の正体は、たいていこの「うねり」が原因なのではないだろうか、と思う。

私自身も年齢を重ねて、それぞれの変数の動き方や、ブレが大きくなるにつれて、子供の頃からあんなに大好きだったファッションが「難しい」と感じることがある。

「変数」の中でも、多くの女性が頭を悩ませるのが「自分の体型や顔立ち」かもしれない。だからこそ、各種診断系(骨格、顔タイプ、パーソナルカラーなど)が人気なんだと思う。みんな、「変数」と「うねり」を読み解く何かしらのフレームワークを求めているのだ。

例えば、私の場合、骨格タイプはストレートで、顔タイプはソフトエレガント。パーソナルカラーはイエベ秋。

この組み合わせにより、スーツが似合いすぎる問題と、抜け感がない問題が発生する。

「似合う」と言われるジャストサイズのジャケットとパンツを身に纏い、パンプスを履き、髪をまとめて、イエベ秋に似合うブラウン系のリップなんかしたら、きっちりしすぎて、昭和の大女優みたいになる。もしくは、踊る大捜査線の沖田仁美管理官みたいになる。真矢みき演じる女性初の刑事部管理官(警視正)。

令和には「抜け感」が大事なんだ。だから、今は「エフォートレスに見せるためのエフォート」を多くの女性がしている。そんな時代に、沖田管理官はかなり古臭くみえるし、その古臭さが、1970年代後半生まれという昭和の末裔の私を、一気に「オバみえ」させるんだ、と自己分析している。

つまり「似合う」は出発点であって、ゴールじゃない。

診断系の限界がここにあるのではないか、と思う。そして、時には似合わなくても、着たい服や着なければならない服ってものがあるのだ。

もうひとつ、ずっとモヤモヤしていることがある。『40代・50代が持つべき基本の10アイテム』みたいな特集。よく見かけるやつ。

同世代という共通点があるだけで、実際には、ライフスタイルも考え方も違う。年齢によるカテゴライズってわかりやすいけど、ざっくりしすぎていて雑な気がする。

同じ40代でも、3人の子育て中の専業主婦と、独身のバリキャリにとっての基本の10アイテムはどう考えても違う。さらに言えば、「40代で3人の母親で専業主婦」という共通点があっても、基本的に移動はタクシーで、買い物はお手伝いさんがしてくれるような富裕層と、自転車で毎日、お迎えやら、スーパーやらを往復するお母さんでは、必要な靴がそもそも違う。

もちろん、その世代に共通することってのはあるとは思う。例えば、体型が崩れてきたとか、肉の付き方が変わってきたとか、肌の質感やトーンが変わってきて真っ白が似合わなくなってきた、とか。逆に似合うようになるものもある。鎖骨付近のお肉が削げてきたから、シャツのボタンを若い頃より開けても、生々しいいやらしさみたいなものがなくなってヘルシーな感じで決まるようになってきた、とか。

年齢という変数は確かにある。ただ、それだけじゃない。

結局のところ、様々な変数に対して「答え」を与えてくれそうに見える診断系も、年齢や属性括りでのメディアからの提案も「参考情報」にすぎず、「答え」ではない。

じゃあ、どうするのか。

自分の変数を自分で掛け合わせるしかない。頭ではわかっている。でも、その「掛け合わせ方」に公式は存在しない。だから、迷子になる。

年が明けてから、こんなことを考えながら、ワードローブを見直しているうちに春になった。少しずつ、W杯イヤーの熱気が感じられるようになった頃、偶然の出会いがあった。「私なりの掛け合わせ方」にヒントを与えてくれるようなブラックの3ピース。

次回は、この偶然の出会いについての話から始めたいと思う。

つづく

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