A Wardrobe in Transition — Rethinking it through World Cup Cycles — Vol. I
On Time and Climate
2026年6月11日。北中米W杯が開幕。
サッカーほど美しく、愛おしいスポーツはない、と私は思っている。
鍛え抜かれた男たちが、脚しか使えないというクレイジーなルールの下、たったひとつのボールを追いかけてピッチを縦横無尽に走り回る。一瞬で攻守が切り替わるスリル、決まった時間枠の中で戦う緊張感、そこから生まれるドラマ。長時間かけて、ゴールネットが揺れる瞬間が一度も訪れないことだってある。なんという非効率さだろうか。
「コスパだ」、「タイパだ」、「AIを駆使しての効率化だ」と生産性ばかりが求められる今の世の中で、この非効率さがなんとも美しく愛おしいのだ。
サッカーを見るようになって、欧州の地名をたくさん知ったし、小さな町の、小さなクラブチームのちょっとした歴史などにも興味を惹かれた。渡英した際、人種の坩堝であるロンドンでの会話のネタとして、どれほど助けられたかわからない。
昭和前半生まれの伯父は、早稲田大学のサッカー部で活躍した。時代が時代ならJリーガーになっていたであろう人だった。そんな縁もあり、幼い頃からサッカーが身近にあった。推しだった稲本選手が、2002年の日韓W杯で活躍後、アーセン・ベンゲル監督率いる英国プレミアリーグのアーセナルに移籍してからは、欧州にも観戦の脚を伸ばした。そのうち、稲本選手とは関係なく、PSG観戦のため、サン・ドニのスタッド・ド・フランスにひとりで乗り込んだり、チャンピオンズリーグの決勝をウェンブリーに観に行ったりもした。ロンドンに住むようになって嬉しかったことは、いくつかあるが「欧州のサッカーの試合を時差なく観戦できるようになったこと」は、そのうちのひとつだった。
正直にいうと、以前と同じようなサッカーに対する熱量は、今の私にはない。
それでもW杯イヤーになると、「あれ」がやってくる気がするのだ。「あれ」とは、「ワードローブの見直し」である。
ワードローブを見直すことは、すなわち、生活と人生を見直すことでもある。私にとって、4年周期というのは、人生の節目としてちょうどいい。W杯のタイミングでこれまでの4年間を振り返り、これからの4年間に思いを馳せる。
2002年:日韓共催大会
2006年:ドイツ大会
2010年:南アフリカ大会
2014年:ブラジル大会
2018年:ロシア大会
2022年:カタール大会
それぞれの大会のたびに、私は変わっていた。体型、顔つきなどのフィジカルなことはもちろんだし、仕事の内容、大切にしたい人、美意識、人生観なども。変化の大きさに差はあれど、4年前と何ひとつ変わってない、などということは一度もなかった。
だから、当然、その時着ている服も、これから着たいと思う服も違っていた。
2018年の秋に日本に本帰国してから今日まで、W杯にして2回分。2022年の前回大会は、父を看取ってから日が浅く、今の会社で働き始めたばかり。暮らしに落ち着きがなく、ワードローブを見直している余裕はなかった。そう考えると、今年の見直しは大掛かりになりそうな予感がしていた。
まず、何をするにしても知識を入れて、セオリーから入りたいタイプの私。少し前に話題になった昼田祥子さんの『1000枚の服を捨てたら、人生がすごい勢いで動き出した話』を読んでみた。
10代の頃からファッションエッセイみたいな本が好きだったから、似たような類の本は何冊も読んできた。その中でも昼田さんの本は、読みながら共感を覚える言葉が多かった。きっと、思考のクセや幼少期の体験に自分と重なるものを感じたからだと思う。 「1000枚」という具体的な数字にはインパクトがあり、キャッチー。けれど、それはフック。この本のテーマは「数や量」そのものではなく、服に向き合う「マインド」。目には見えないけれど、確かにそこにある、ファッションへの姿勢と考え方。
具体的なワードローブの見直しのヒントとして、今の自分に最も役立つ視点だと思ったのは「目的に合った服を揃える」こと。そして、そのために「自分の日常にあるシーンを考えてみる」ということだった。
私は、今の自分のライフスタイルの因数分解をはじめた。
外資のテック系企業で正社員として働いている。オフィス出社は、多くても週に4日くらい。制服的なものはない。
カスタマーやクライアントに常に会う役割ではないので、毎日スーツを着る必要はないし、出社時のドレスコード的なものもほとんどない。上半期に5回、下半期に2回程度、会社のイベントでお客様の前に立つことがある。
並行して、今年からMomo&Co.という「ひとりクリエイティブスタジオ」を始めた。
HSP-HSS型でINFJの私の週末は、地味。社交性と行動力はあるから、いろんな人と会ったり、あちこち外出しているように思われがちだけど、自宅周辺で過ごすことが比較的多い。
週末は「自分を回復するための時間」という位置付けだから、基本的にパワーチャージになる人にしか会いたくないし、心身のメンテナンスに使いたいと思っている。
洗濯、掃除、日用品や食材の買い出しをしているうちにあっという間に午前中は過ぎ去る。午後には平日にやりきれなかった仕事をしたり、本を読んだり、コーヒーと甘いものをお供にさまざまなことの脳内会議をしたりしていたら、あっという間に夕方になる。
そんな過ごし方の週末は、基本的にノーメイクだし、おしゃれさよりも、快適さ重視。
もちろん、人に会うこともあるし、外出することもある。そういう時は、そこそこおしゃれもするし、それなりにメイクもする。月に4回か、5回程度。
1年に2回くらいは海外に行く。出張とプライベート。出張はアメリカで、プライベートは基本的にはヨーロッパ。
さて、こんな今の私の「目的にあった服」とは?
具体的なアイテムをいくつか思い浮かべてみて、気がついたのは、目的に合った服と手持ちの服とのギャップ。
だから、多くの女性が直面する「服はあるのに着るものがない」現象が起こる。「向こう数年間、裸で外を練り歩かなくてもいいくらいの枚数の服は持っている」。けれど、今の好みにも、体型にも、目的にもあっていない。そして、見落としていたのが『気候』だった。
昼田さんの本で「確かに!」と思ったことのひとつが「アウターにバリエーションを持たせる」という視点。一般的にアウターは数を絞りがちだけど、むしろバリエーションがあると気分が上がるし、楽しい。いちばん外側で、自分にも人にも見える部分だから。
そして、アウターを入り口に考えてみようと思ったのにはもうひとつ理由があった。
それは、帰国してからの8年間で日本の気候が大きく変わったと感じることだ。春に湿度が高くなるタイミングが前倒しになり、夏は長く、秋が短い。そして、あっという間に冬になる。だから、春と秋のアウターの互換性がほぼなくなってきているのだ。
年々トロピカルになっていく湿度大国 ニッポンにフィットすること。
着ていて心地よく、今の自分に少し自信が持てること。
人生の後半戦の軸となるワードローブに組み換えていくこと。
この3つが今回の見直しのテーマになった。
ファッションは、変数だらけの要素で成り立つ総合芸術だと私は思っている。そして、誰もが毎日生み出すクリエーションなのだ。
W杯のアンセムと歓声を聞きながら、クローゼットを開ける。春から整え始めたワードローブは、少しずつ「今」と「これから」に寄り添う気配を漂わせ、私はなんだかワクワクしていた。
つづく